日記



知っておいてね韓国三田渡碑 

 韓流ファンのみなさまへ・・朝鮮人だからできること

 三田渡碑をウィキペディアで調べてみると・・・、三田渡碑・・本来の名前は、「大清皇帝功徳碑」 

 ホンタイジは、自身の「徳」と仁祖の「過ち」、そして両者の盟約を示す碑文を満州語・モンゴル語・漢語で石碑に刻ませ、1639年に降伏の地である三田渡に建立させた。これが「大清皇帝功徳碑」である。

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 仁祖が朝貢を拒絶し、清皇帝を認めないと公表すると、激怒したホンタイジはただちに朝鮮への親征を行った(丙子胡乱)。清の圧倒的な兵力の前に各地で敗北を重ねた朝鮮軍は開戦後40日余りで降伏し、和議が持たれた。講和内容は11項目に及び、清への朝貢と清からの冊封、明との断交、朝鮮王子を人質に差し出す、膨大な賠償金など屈辱的なものであった。そればかりか仁祖は三田渡で、ホンタイジに対し三跪九叩頭の礼(三度跪き、九度頭を地にこすりつける)をもって清皇帝を公認する誓いをさせられる恥辱を味わった。ということで「屈辱碑」の方が有名ですね。

 で、碑文には・・・


 ?大馬鹿な朝鮮王は愚かにも、偉大な清国皇帝に逆らった。
 ?清国皇帝は愚かな朝鮮王を窘め、己の大罪を諭してやった。
 ?良心に目覚めた朝鮮王は自分の愚かさを猛省し、偉大な清国皇帝の臣下になることを誓った。
 ?我が朝鮮はこの清国皇帝の功徳を永遠に忘れず、また清国に逆らった愚かな罪を反省するために、この石碑を建てることにする。
と、刻んであるそうです。 

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 その後、日清戦争で日本が勝利し、1895年の下関条約で、清の冊封体制より李氏朝鮮が離脱したのを機に、「屈辱碑」とされていた同碑は迎恩門と同時期に倒され、地中に埋められた。しかし日韓併合後の1913年には引き上げられ、さらに光復後(1945年)に再び埋められたり、と何度か滅出を繰り返した後、韓国の「史蹟第101号」(1957年2月1日)に指定された。1963年に洪水で流されたが、ソウル特別市松坡区石村洞 289-3に復元された。「朝鮮の屈辱の象徴」として、移転の願いなどがされた。
 
 2008年、この石碑はロッテワールドのビルの裏手、石村湖水西湖の北東側にある緑地帯へ移されることが文化財庁により決定された。石碑の横に建てられていた仁祖が降伏する光景(ホンタイジの前において土下座している描写)の銅板は、「文化財的な価値はない」との理由により、文化財委員会の判断に基づき撤去されることとなった。見栄っ張りと云うか、負け惜しみが強いというか・・・。
 
 正しいものも間違っているものも受け入れるのが歴史認識なのに、こんなにきちんと朝鮮民族の歴史を証明できるものを残さないとは、さすがです。日本なら間違いなく残します。これも朝鮮民族独特のファビョン精神構造が許さないのでしょう。

 朝鮮の歴史そのものがすっぽり抜け落ちてしまう為、宗主国の文化や日本の文化をパクってきて埋めないとつじつまが合わなくなっちゃいますからね。
 



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知っておいてね朝鮮人の正体

 韓流ファンのみなさまへ・・朝鮮人だからできること

 永住外国人とはいえ、例えば民団(在日本大韓民国民団、在日韓国人のほとんどが所属している団体)は、韓国政府から年間数億円の政府補助金を貰って活動しているという民団は韓国の出先機関であり、また、民団の綱領には【在日韓国国民として大韓民国の憲法と法律を遵守する】と明記されており、日本国憲法や日本の法律を遵守することは一切記載されていない。
 つまり民団を中心とする在日韓国人は日本の利益の為ではなく韓国の利益のためにこの国に居座っているのです。
 在日韓国人、朝鮮人は間違いなく不法滞在です。
 あのまっかっかの朝日新聞(この築地のビル内に東亜日報東京支店がある)に昭和21年7月13日付けでマッカーサーが無料で日本の朝鮮人、韓国人を半島に返そうとしている記事が載っています。
 国立国会図書館で閲覧できますし、ユーチューブでも見ることができます。



 在日朝鮮人、韓国人を合わせると約64万人そのうち永住資格を持つものが約42万人、中国人、台湾人、密入国者を合わせるとなんと300万人がこの日本に不法滞在していると云われています。
一部の馬鹿政治家が韓国では永住外国人参政権が認められている、だから日本でも認めなくてはいけない・・、こんなことを平然と言っている馬鹿議員、総連や民団のパチンコマネーを貰っている議員です。
 赤松広隆、山田正彦、近藤昭一・・、そういえば、こいつらみんな民主党、小沢も、鳩山も、岡田も・・、民主党にはパク・シンクン始め60数名の在日がいるといいます。
 レンホーは台湾人だけど中国共産党のシンパだし・・、こんな人間がこれからの日本のこと真面目に考えること出来るんでしょうか??

 民主党は解体しないと日本はとても危険です。
 半島からの密入国者なら、総連、民団を通せば日本に滞在することは難しくはないという。
 日本で在日朝鮮人、韓国人の逮捕者は年間約5000人、つまり検挙率の下がった現在においてでも120人に1人、検挙率が昔の日本の警察だったならば80人に1人といわれるこの犯罪民族。韓流と云うよりも犯流?

 在日朝鮮人、韓国人のうち46万人が生活保護者といわれ4人家族の世帯で年間約600万円支給されているといわれています・・。
 日本の生活保護者は現在約130万人、そのうちの30%以上が在日です。

 また年金保険料の掛け金も支払っていないのに「年金に加入できなかったのは日本国の責任である」として、恥知らずにも年金の支払い要求もしています。韓国籍のまま・・・。

 京都の宇治市伊勢田町51番地に在日がウトロと呼ぶ地区(本来の地名は宇土口町)、で不法占拠が争われ、2000年11月、最高裁にてウトロ地区住民側の前面敗訴が確定しているにもかかわらず、10年経った今でも占有されている・・・。
 また朝鮮中・高級学校にも日本の学校と同じ待遇にしろ・・・と総連は要求しています。
 日本人を拉致し返しもしないどころか、ありもしない歴史をこれでもかと云うくらい捏造し、捻じ曲げ批判し愚弄する、こんな国の学生のために補助を出して、もっと反日化させるために日本人が金を出すと思っている、とんでもないキチガイ集団の犯罪民族・それが南鮮・北鮮の朝鮮人の正体です。
 
 そんな犯罪者の集団に金をやる・・、まさに在日特権と云うしかありません。



 さらに彼らは、
 1【日本海】を、韓国の主張と同じく【東海】と呼称することを要求
 2【竹島】を【独島】と呼称し、韓国領土であると主張している
 この2つの事項だけでも彼らは彼らの居住する日本の為ではなく、自分たちの母国である韓国の利益の為に行動するのです。

 地方自治体は日本政府にさまざまな要望を提出することができ、教育・治安・安全保障等、日本国の政策に重要な役割を担っており、地方参政権は国政と密接に関係しています。
 また、外国人参政権は憲法15条等で定める国民固有の権利を侵害するものであり、平成7年の最高裁判決では、判決の傍論(主判決ではない)として「地方自治法の規定は永住外国人に選挙権を付与することを禁止していない」という文言を付け加えた園部逸夫判事は、後年「(傍論は)強制連行等の歴史的経緯を重視した感情的なものであり一言書かざるをえなかった。判決の結論には賛成であった。」や「この傍論を重視するのは、法の世界から離れた俗論である」とまで述べており、外国人地方参政権は憲法に違反する旨のことを述べています。
(なお、園部裁判官がいう朝鮮人強制連行に関してですが、昭和34年7月13日付け朝日新聞の記事によると、外務省が「大半の在日韓国人は自由意志で日本に来た者であり、戦時中に徴用労務者としてきた者は245人にすぎない」と発表しています。)
 外国人地方参政権付与、地域主権を強化することは日本の中に朝鮮を造ってしまうことにつながり、日本を解体へ導くものです。

 李朝末期を忘れないで、半島がどうなっていたか、朝鮮人がどんな人種か!
 現に長崎県対馬ではこのような記事が報道されました。

 ●対馬市議会 「外国人参政権付与」に反対の意見書採択を可決
 韓国資本による観光開発で土地買収が島内で進められていることが明るみにでた長崎県対馬市の市議会は8日、民主党が進めている「外国人参政権(選挙権)付与法案」に反対する意見書を採択することを賛成多数で可決した。
 地方参政権の付与には外国人が多数移り住み、母国の意向を受けた投票行動でわが国の主権や国益、住民の意思が脅かされる恐れが指摘されていた。市議会の採決は、他国と国境で接する離島住民の危機感を代弁するもので、注目されそうだ。
 同日の本会議での採決結果は賛成18に対し、反対2で欠席2だった。
 議員の1人は「意見書採択を決めたことは市民生活への深刻な危機感が背景にある」と語った。今後、首相や衆参両院議長に文面を提出する。

 これらのことはほんの一部ですが、これらだけでも地方参政権といえども外国人に選挙権を付与することは日本の国家主権及び日本の国益を損なうことは明らかです。
 鳩山、小沢、民主議員は、外国人参政権が憲法違反であり、国益を損ない安全保障問題になることをわかっていてなぜ日本や日本人の不利益になることが出来るのだろうか?
 一度与えてしまった権利はのち取り消すのは非常に困難です。
 歴史をみれば明らかなように、現在友好的な国であっても将来敵対関係になりうるのです。その場合、安全保障を理由に彼らの参政権を取り消すことは出来ません。
 日本文化を学びに来る一部の外国人を除き、自分の国では得られない金を得る為にほとんどの外国人は出稼ぎに来ているのです。
 従って自国の政府が投票の為にいくらかでも金を出すことが出来れば、彼らは喜んで指定した人間に投票します。そうして日本の政治は外国の影響を受けてしまうのです。

 一度認めてしまえば、北方四島と同じで敗戦国である日本の言い分なんて通りはしないのです。
 日の丸、君が代に反対する教師、不良外国人を擁護する日本人、日本人になりすまし、この国を破壊しようとする在日、全員この国から追放するべきです。

 追記 北方四島の顛末・ウィキペディアより
 ソ連対日参戦8月9日、長崎原爆投下、日本ポツダム宣言受託8月14日、ソビエト赤軍8月28日から9月5日北方領土上陸占領
 サンフランシスコ。国後、択捉=ソ連領、歯舞色丹=日本領で調印寸前だったが、冷戦でアメリカがソ連を敵としてみなし始めていた。
 当時のジョン・フォスター・ダレス国務長官の「国後、択捉も日本領、ソ連にやったら沖縄を二度と日本に復帰させない!」と、これが四島一括返還の真相らしい。
 *

 ミハエル・ゴルバチョフが共産党書記長だった85〜91年、チェリノブイリ原発事故(86年)から、ペレストロイカ(改革)、グラスノスチ(情報公開)が始まり、中国ではケ小平の改革開放〔78〜の半ば、第二次天安門の時代、日本はバブル景気、山手線内側の土地の値段でアメリカ全土が買えるといわれた頃、先見の明のある政治家、外務官僚がいれば四島は間違いなく返還されたでしょう。
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知っておいてね朝鮮進駐軍 

 韓流ファンのみなさまへ・・朝鮮人だからできること

 在日朝鮮人は日本と戦争をした事実は無いにもかかわらず、終戦と同時に「朝鮮進駐軍」を自称し、日本各地において婦女暴行、暴行、略奪、警察署の襲撃、土地・建物の不法占拠、鉄道の不法乗車等、横暴の限りを尽くした。
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「朝鮮進駐軍」部隊2000人による「首相官邸襲撃事件」が1946年起きた。
 約2000人 の在日朝鮮人「朝鮮進駐軍」部隊が完全武装して首相官邸に突入。
 日本の警官隊は当時武器の所持は禁じられていため、米軍憲兵隊に応援を頼んだ。
 そこで米軍憲兵隊と「朝鮮進駐軍」との間で大銃撃戦闘へと発展した。
 戦後の在日朝鮮人は、なんの国際法上の地位もないにも関わらず、勝手に自分たちを「戦勝国民である朝鮮進駐軍」であると詐称し、三万人もの武装集団となって全国主要都市に出現し暴れまくった。
 在日朝鮮人集団は、武装解除された日本軍の武器と軍服を盗用して武装し、勝手に「朝鮮進駐軍」と名乗り、無差別に多くの日本人市民を殺害した。
 GHQの 記録に残っているだけでも四千人以上の殺害記録が残されている。

 戦後の治安が整っていない空白を良いことに、「朝鮮進駐軍」と名乗った在日朝鮮人は、土地の不法略奪、金品略奪、強姦、銀行襲撃、殺略、警察襲撃など暴れ放題の限りを尽くした。
 「朝鮮進駐軍」と名乗る暴徒たちは、個々に部隊名を名乗り、各地で縄張りを作り暴れた。
 これら「朝鮮進駐軍」 元締め組織が「朝鮮総連」、ヤクザなどになっていった。
 国有地も、都心駅前一等地周辺も、軒並み不法占拠した。そしてそのまま、パチ ンコ屋、飲み屋、風俗店等々が出現し、そのまま彼らの土地として登記され現在に至っている。
 農家、農協倉庫を襲い、貨車を襲撃、商店街、国の食料倉庫も襲い、食料や商品を根こそぎ 奪って行き、それらは全て戦後の闇市で売りさばき、暴利で財を成したのは彼らであった。
 
 財を成したのは彼らは分派し、政治組織として社会主義、共産主義組織へと発展し、政界にも進んだ。
 「朝鮮進駐軍」と名乗る在日朝鮮人暴徒たちは、通りすがりの市民に言いがかりをつけ集団暴行をはたらく。無銭飲食は当たり前、白昼に目に付いた婦女子を路上で集団強姦するなどを、日常茶飯事に繰り返した。
 在日朝鮮人は「朝鮮進駐軍」部隊と名乗り、武装して、町をのし歩いた。
 彼らは闇市を掌握して巨大な利益をあげ、徒党を組んでは瓦礫と焦土の神戸の街を闊歩した。

 腰には拳銃をさげ、白い包帯を巻きつけた鉄パイプの凶器を振り回しては、手当たり次第に日本人を殺傷、暴行し、略奪の限りを尽くした。
 通りすがりの通行人の目つきが気に入らぬといっては難くせをつけ、無銭飲食をし、白昼の路上で婦女子にいたずらをした。

 善良な市民は恐怖のドン底に叩き込まれた。

 こうした不良分子は旧日本軍の陸海軍の飛行服を好んで身につけていた。
 袖に腕章をつけ、半長靴をはき、純白の絹のマフラーを首にまきつけ、肩で風を切って街をのし歩いた。
 警官が駆けつけても手も足もでない。
 終戦後の警官が、一切の銃器の所持が許されていなかったのをよいことにして、「おれたちは戦勝国民だ。敗戦国の日本人がなにをいうか」と、丸腰警官を殴り、ド突き回し、警備用の木刀や飾りのサーベルをヘシ曲げた。

 戦後当時の「朝鮮進駐軍」は今日の朝鮮総連本部である。今の朝鮮総連となる「在日朝鮮人連盟中央総本部」






 【昭和26年03月22日衆議院法務委員会】
 【押谷委員】
 お尋ねをいたしますことは、昨朝起りました朝鮮人による米兵に対する暴行事件であります。
 昨二十一日の午前三時半ごろに、浅草の千束町の朝鮮マーケット附近におきまして、六名の米兵が多数の鮮人に取囲まれまして、集団的に暴力を加えられて、一名は死亡する、二名は負傷する、自動車も破壞されるというような不祥事を起したのでありますが、わが国の講和を前に控えて、今日日本の置かれたる国際的地位などから考え、この時期を思いまするときに、まことに遺憾しごくな事件だと考えます。

 終戦後の第三国人どもは本当に酷かった。軍の兵器を盗んで来たらしく、三八式歩兵銃や南部式拳銃で武装し、小銃には着剣して強盗強姦傷害恐喝脅迫不動産窃盗、時には殺人まで、経済犯、実力犯を中心にあらゆる悪事を重ねていた。

 銀座、浅草、新宿は朝鮮人、新橋、渋谷は台湾人に支配され、政府も警察も動揺し、手を拱いていた。戦勝国民は治外法権だったのである。
 だから食管法に限らず、戦勝国民には日本法を適用出来なかった。服部時計店や白木屋も米軍の酒歩(PX)に接収され、そこへ行けば食料に限らず物資は山ほどあった。日本人は買えなかったが。

 そうした情勢に便乗し、朝鮮人は戦勝国民だの「朝鮮進駐軍」を僭称して堂々と闇商売を行い、派手に稼いでいた。
 そりゃ儲かるだろう。警察の検問を竹槍日本刀を振り回して強行突破したのだから(さすがに銃撃戦は挑まなかった模様)。
 当時は物不足で、売る方は素人でも出来た。仕入れこそ難しかった。彼等は日本人露天商を襲って商品を奪う。

 それで警察が黙認して捕まえないのだから、こりゃあ損のしようが無い。
 警察が襲撃されることしきりで、署長が叩きのめされたり、捜査主任が手錠を賭けられ半殺しにされるぐらいは珍しからず。
 上野で朝鮮人経営の焼肉屋へ国税局査察部が査察に行った際、大金庫を開けて手を入れた瞬間を狙って二十人ぐらいで一斉に金庫の扉を押したものだから査察官は腕を切断されてしまった。

 当時は警察署が襲撃される事が珍しくなく、第三国人の襲来によって犯人を奪還された富坂警察署事件、ついでに警官が殺された渋谷警察署事件、共産党が大群で警察署を包囲し外部との連絡を遮断「攻城戦」に出た平警察署事件等、枚挙に暇有りませんでした。

 東京東部(すなはち大東京の中心地)北郊の荒川、古利根−中川、江戸川、利根川流域の牛は皆いなくなった。
 当時、あの辺は畜力として農耕牛を使っていたが、深夜、不良朝鮮人が侵入して来て盗み出し、河原へひいて行って屠殺した。牛はモウと言って泣いたので皆気付いたが、銃砲刀剣で武装しているので追う訳には行かなかった。
 永年愛育し、慈しんで来た牛が悲しそうに泣きながらズルズル引き出され殺されるのを傍観するのは無念で耐え難かったが、手向へば殺されるのでどうにも出来なかった。
 そうして利根川水系流域一帯の牛は皆、不良朝鮮人に盗まれ、殺され、闇市で売られた。

 この辺へも、新聞紙に包んだ肉塊を売りに来たものだ。
 上流で屠殺した牛を、そのまま下流へ売りに来たのだろう。かくて南関東から、牛はいなくなった。
 家/畜相手ならまだしも、人間に対しても、関東以西の大都市を中心に、日本中に灰神楽が立つような勢で数多犯罪を重ねた。
 川崎、浜松、大阪、神戸などが酷かった。その最も著しい象徴的事例に、元文部大臣、後の首相・鳩山一郎氏に対する集団暴行・傷害事件がある。

 翁が軽井沢の静養先から帰京しようとして信越本線の汽車に乗っていたら、例の「朝鮮進駐軍」が後から大勢、切符も買はず、鉄道員を突き飛ばし押入って来て、「俺達は戦勝国民だ、おまえら被支配者の敗戦国民が座って支配者様を立たせるとは生意気だ、この車両は朝鮮進駐軍が接収するから全員立って他の車両へ移動しろ、愚図愚図するな!」と追い立てた。

 それで鳩山氏が、我々はきちんと切符を買って座っているのにそりゃおかしい、と一乗客として穏やかに抗議したら、たちまち大勢飛び掛かって袋叩きにし、鳩山翁を半殺しにした。
 幸にして重体にも重傷にも至らなかったが、頭部裂傷だか顔面挫傷だか忘れたが、血に塗れ腫れ上がった痛々しい顔で帰京した。

 年老いた祖父を理不尽に叩きのめされて怨まぬ孫も有るまい、いかに不出来な孫にせよ。
 孫共はこれを知らんのだろう。
 直後に総理大臣に成る程の大物でもかくのごとし。
 いわんや庶民におては 土地も屋敷も物資も操も、奪い放題であった。

 闇、賭博、傷害、強盗事件が多く、ことには、空襲や疎開で一時的に空いている土地が片端から強奪された。
 今、朝鮮人が駅前の一等地でパチ/ンコ屋や焼肉屋を営業しているのは、皆、あの時奪った被災者の土地だ。それでも警察は手が出せなかった。
 歴代首相大臣等が絞首刑になって行く状況で、警察ごときに何が出来よう。

 ある日、警察は何月何日を以て廃止す、再び登庁するを許さず、と命ぜられれば、それ切り警察は消滅する。
 七百万の大軍を擁した彼の帝国陸海軍ですら、左様にして両総長両大臣以下、自然廃官になった。まこと敗戦は悲しからずや。
 たまりかねた警察が密かにやくざに頼み込み「浜松大戦争」になった訳だが、「小戦争」は日本中に頻発した。
 最後の頼みの綱は連合国軍であったが、遂にはその憲兵隊でも手に負へぬ非常事態に立ち至った。
 それでさすがに米軍も腹に据えかね、日本本土全域の占領を担当していた米第八軍司令官アイケルバーガー中将が、関東と言はず関西と言はず、はたまた北九州と言はず、不良朝鮮人活動地域に正規戦闘部隊の大軍を出動させ、街頭に布陣して簡易陣地を築き、重装甲車両を並べ、人の背丈程に大きな重機関銃を構へて不良朝鮮人共にピタリと狙いをつけ、ようやく鎮圧した。我々はその火器のきらめきを間近に見た。

 この時、連合軍総司令官ダグラス・マッカーサー元帥の発した布告が、「朝鮮人等は戦勝国民に非ず、第三国人なり」と言い声名で、これぞ「第三国人」なる語のおこりである。
 だから、外国人差別用語なはずは無い。
 彼等自身、マッカーサー元帥以下、一人残らず皆、外国人ではないか。

 連合国軍総司令官は、日本人に対してこそ絶大な権勢を振ったが、本国や同盟国、対日理事会や極東委員会に気を使わねばならぬ外交センスの要る役職であった。
 何人にもせよ、敗戦国民以外を、声名発してまで差別なんぞする筈が無い。
 「第三国人」の語は、国際法に則って説いた技術的専門用語に過ぎない。

 終戦後の朝鮮人の横暴は目に余るものであった。

 東京のど真ん中、銀座の交番に於いてさえ、朝鮮人を注意した巡査が複数の朝鮮人の襲撃を受け裸にされ警棒を尻に突っ込まれると言う乱暴を受けた。
 当時の日本警察は拳銃の携帯が許されておらず、朝鮮人の横暴を止められなかった為、政府はマッカーサーに請願した。
 これを受けて述べたのが、マッカーサーの「朝鮮人は戦勝国ではない第三者だ」と言う三国人発言である。

 1950年にGHQは日本占領を終結し、解放し、実質的に戦後は終わったとされています。
 その際に朝鮮人は日本籍を剥奪され、韓国籍として朝鮮に帰れと命令しました。
 不要の朝鮮学校と民団総連も廃止し解散請求しました。

 すると在日朝鮮人は、なにを履き違えたか「我々は先勝国民であり日本を統治する立場だ」と叫びだし、革命を叫んで、公共施設の不法占拠し火炎瓶や武器で武装して決起したのです。
 警察も拳銃で対抗し射殺された人もでました。

 警察では対処できなくなり、GHQは軍隊の動員をして戦後初の戒厳令を敷いて朝鮮人による暴動を平定しました。
 この戦後初の戒厳令が敷かれた朝鮮人動乱(正式名がない)事件は、日本の歴史からスッポリ抜けています。
 死人も出ている事件なのに、日本の教科書には掲載されたことはありません。(日本各地で勃発しました、栃木や浅草などは戦場状態です)
 逆に朝鮮民族学校の教科書には差別と弾圧として掲載され教育されています。
 勿論、被害者側としてであり、立ち上がったのは国籍条項と朝鮮民族学校の廃校に対する抗議としてであると述べています。
 日本人として、在日朝鮮人への危機感は常に持つべきですね。
 
 日本国内だけではない。
 朝鮮半島を朝鮮を近代化させて、恩あるはずの我ら先人の日本人を集団で襲って、強姦強盗不動産窃盗と悪の限りを尽したのを皆忘れてしまったのか。
 多くの日本人は、朝鮮人に襲われ、無念にも命を落とし、帰れなかった人は数知れない。
 彼らの悔しさを思うと、日本人の敵朝鮮人に参政権という言葉は決して出てこないはずである。
 このことを誰も伝えようとしないが、事実は決して消える物ではない。
 朝鮮人の日本人に対する犯罪は、触れては成らない理由があるのか不思議な日本人達だ。

 ●なぜ日本にだけパチ/ンコ屋があるのか?

 今から70年ほど前、日韓併合後に朝鮮人は自らの意思で日本に渡ってきた。
 その後日本は第二次世界大戦で連合国(米・英・オランダ・支那・オーストラリア)と戦争に突入。英・オランダ・支那・オーストラリアには勝ったものの米に敗北し、ポツダム宣言を受け入れ連合国に降伏した。
 すると朝鮮人たちは「我々は戦勝国民」であると主張し、「朝鮮進駐軍」を名乗り、各地で暴れ始めた。
 日本の男たちは戦場に駆り出され、残っていたのは女、子供、老人ばかり。
 朝鮮人はやりたい放題で、駅前の一等地は朝鮮人に襲撃され占領された。
 もちろん、そこに住んでいた日本人女性は容赦なく強姦され追放されたのです。

 当然、日本人は朝鮮人を強く憎むようになった。
 そのため、在日朝鮮人は日本名を名乗るようになった。
 朝鮮名を名乗ることは自分が犯罪者だと宣言しているようなものだったからだ。

 その後、朝鮮人達は共産主義者と組み、マスコミを使って歴史の捏造を始めた。
「強制連行されて来た」「土地を奪われて仕方なく来た」等など。
 そして強姦・殺人犯罪を謝罪するどころか、土地を占拠し続けながら、「俺たちは何も悪いことをしていないのに差別される」「不当な差別を受けている」などと宣伝し始めた。

 「朝鮮進駐軍」を知らない若い世代の日本人たちは在日に対して、罪悪感を持つようになった。
 そして在日たちは日本人から奪い取った一等地で商売を始めた。それがパチンコである。
 今でもパチ/ンコ業/界の8割が在日が経営者である。パチンコ業界は今や30兆円産業と言われている。

 なんとあの日本が誇る自動車産業より上なのだ。だが自動車産業とは違いこのパチ/ンコ業/界は、日本が誇るどころか日本が恥ずべき業界なのだ。
 なぜならパチンコ業界は経営者の脱税と、北朝鮮への不正送金・犯罪の温床など日本人にとって極めて不利益になる事ばかりをしている。
 「日本のパチンコがある限り我が国は安泰だ。」(金正日)
 日本の政治家や警察にもパチンコの金が流れている。だから「パチンコ・パチスロはギャンブルではない娯楽だ。」などという、馬鹿げた論理がまかり通っているのだ。

 しかし祖母や曾祖母が朝鮮人に強姦された場所で、今の奴らはパチンコやスロットを打つとは・・・・・。
 これは「日本人」以前に「人間」として恥ずべき行為ではないのか?
 在日朝鮮人が経営するパチンコ屋が駅前に多いのではなくて、パチンコ関係の会社の経営者は在日朝鮮人が殆どです。

 それぞれの企業の代表者を調べれば中国式(朝鮮式)の名前です。名前が日本風であっても通名である場合もあります。そしてその他の風俗店、焼肉屋などにも多いです。
 なぜ強制的に連れて来られたと騙っている彼らが、差別が酷かったと騙りながらも、今のように駅前で莫大な富を生み出す違法な賭博場を開けるまでになったのでしょうか…。

 終戦直後、駅前には闇市が出来上がり商売に適した場となりました。
 当時、自分達を三国人と称して、自分達には治外法権が認められていると勘違いし、日本の闇市を席巻していたのは朝鮮半島出身者達でした。
 彼らは「在日朝鮮人連盟」という自治団体を結成し、その組織の力をバックにやりたい事をやりまくりました。

 警察署でさえ武器を手に持ち押し入って、留置所から仲間を連れ出すことさえやってのけました。(全ての朝鮮人がそうであったとは言いません。しかし、同胞の不正に目を瞑っているというのは酷い事です。)
 他の方も書いておられますが、悲しい事にこの勢力に対抗できるのはヤクザしかいませんでした。
この事を、今のマスコミも教科書も伝えませんが、こんな酷い話を載せる事を編集者は怖がります。

 そしてマスコミも教科書もこの事を書けないのは、常に朝鮮系の圧力団体(朝鮮総聯や韓国民潭)や政治的な圧力団体からの圧力があるからです。
 教科書などはいつも圧力団体の抗議にさらされていますね。こういった事実を書くと、必ず「それは民族差別である」という方が居られます。
 しかし、在った事を書けば差別で、見て見ぬ振りをすれば差別ではないのでしょうか?
 これは民族差別ではなく、犯罪者差別です。
 日本人には民族という概念は薄く、犯罪者を嫌う、という感覚が有ると思います。
 むしろ民族、民族と口やかましいのは外国人であったりします。
 最近まで、北朝鮮の拉致はでっちあげだと言っていた人たちがいます。
 
 マスコミは拉致事件を大きく取り上げませんでした。
 同じように、パチ/ンコの問題も嘘で塗り固められ、マスコミは沈黙したままです。
 不法占拠に関して言えば、駅前一等地をどんどん奪っていったというわけではなく、空襲などが激しくて殆ど元の住人がいなくなった地区単位で丸ごと奪ったという例を(神戸のある地区や柏市など朝鮮人部落などと評された地域のことを)よく聞きます。

 なぜこういった不法占拠が既成事実化してしまうところまで放置されてしまったのかは、弱者であることを強みにして暴力や脅迫などで民闘連を推し進めてきた成果でしょう。
 新聞でちらっと書くだけで脅迫・暴行の対象になる訳ですから、ましてや教科書なんかには残るはずもない話であります。

 ぶっちゃけ、在日朝鮮・韓国人は不幸の民でもなんでもないよ。あいつらは元々半島で差別を受けていた白丁という奴/隷階級。
 日本との併合で白丁たちは解放されたけど、それでも差別が強かったためにろくな職業につくことができず日本へ渡ってきた。強制連行でもなんでもない。しかも大半が密航。

 関東大震災で朝鮮人が井戸に毒を投げたとかいうデマが広がって、あいつらはいまだにそのことを恨んでギャアギャア騒いでるけど、なんの根拠もなくそういう噂が広まったわけじゃない。
 朝鮮人は、震災で倒壊した建物から金品を盗み出したりしていて、それを戻ってきた住民に見つかって問い詰められると「ココワタシノイエ!」などと開き直って家主を唖然とさせた。

 それまでの東京は、家に鍵を掛けなくても泥棒なんて滅多に入らないほど治安がよかったけど、それからはみんな家に鍵を掛けるようになった。
 戦後に到っては、戦勝国でもなんでもないのに(*大韓民国臨時政府は国際的に正式な臨時政府と認められていませんでした。つーか日本と韓国は当時同じ国だったからあいつらも敗戦国)

「独立だ!オレたちは朝鮮進駐軍だ!」とのたまって、各地でレイプや略奪を繰り返していました。
 田舎に疎開していた人たちが家に戻ってくると、いつの間にか家が朝鮮人に乗っ取られていて「朝鮮勝った!おまえら負けた!この家はおれのものだ!」と言って、元の住民は、ここが自分の土地だと証明する書類も戦争でなくしてしまい、どうすることもできなかったそうです。

 駅前って、パチ/ンコ屋だの金融業者が多いじゃないですか。
 あれって、大半が戦後に在日朝鮮人が不法占拠した土地なんですよ(*パチ/ンコ屋と金融業は8〜9割が在日企業)。

 在日は民潭や総連など暴力団ともつながりのある組織とつながっているため、元の地主は取り返すことができず、田舎でほそぼそと暮らしているらしいです。
 さらに許せないことは、戦後の混乱しているときに、朝鮮人は神風特攻隊の飛行服を着て悪逆非道を行っていたということです。
 わざわざ国のために死んでいった人たちを貶めるためにね!
 これは現在の街宣右翼と呼ばれているひとたちも同じで、彼らの目的は愛国心=軍国・民族主義と一般人に刷り込むことです。

 考えてもみてください、威圧的な車に乗って軍歌を大音量で流してるような人たちを普通の人が見て、こころよく思うはずがありませんよね。彼らの大半も、日本の弱体化を狙う在日や中国人です。
あげく、最近の在日は、自分達にも参政権を寄こせとか言ってくる!

 外国人に地方参政権なんかあげたら最後、韓国が領有権を主張している竹島や対馬に集団で移り住んで自治宣言→韓国領に編入されてしまいますよ!在日が日本を愛しているわけがないんです。
 いや、そもそも本当にこの国を思っているのなら、帰化して日本国籍を取ればいいじゃないですか。民族の自尊心とやらは、帰化したくらいで無くなってしまうほど薄っぺらいものなんでしょうか?そんなことを言ったら、元々日本人とは人種の違うアイヌ人や沖縄県民に失礼です。

 テレビなんかでいかに在日が不幸な民かをやっているけど、テレビ局は多数在日が潜り込んでおり、彼らは自分達のためだけにしか動かない!やつらは不利になると情に訴えるけど、だまされないで。
 本当に彼らの言ってることが正しいのか、自分で様々な資料をよく調べて、考えてみて!

 日本を守りましょう!

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 救う会の佐藤勝巳氏によると、終戦直後、新橋、池袋、上野の闇市は全て朝連(総連の前身)が牛耳っていたそうです。占領軍にも集団で攻撃を加える恐ろしい存在だったとのこと。今でも伝えられる暴行の数々もさもありなんと言った所でしょう。
 「日本共産党の戦後史」によると、昔の党員の大半が朝鮮人が占め(残りは農民とインテリ左翼)、50年代の警察襲撃を始めとする数々のテロ行為を行ったそうです。

 彼らの暴力性は生来のものでしょうか。差別差別と騒ぐ人たちはまず彼らが何をしてきたかを冷静に見て欲しいものです。

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知っておいてね朝鮮進駐軍 ※Weblio辞書にて

韓流ファンのみなさまへ・・朝鮮人だからできること

 現在、日本には42万人といわれる南北朝鮮人と、300万人といわれるシナ人がこの日本にいて数々の犯罪を引き起こしています。
 
 韓国人にいたっては毎年5千人の逮捕者が出ています。仮に50万人の韓国人がこの日本にいたとしても100人に1人が犯罪者ということです。世界中の移民を受け入れている国で、100人に1人が犯罪者という民族は韓国人だけだそうです。この割合は日本よりアメリカの方が高いのだからおどろき!! 
 また、政治の世界にも民主党だけで少なくとも96人の帰化朝鮮人、芸能界にいたっては約5割とも6割ともいわれる朝鮮人がはびこっています。つまりマスコミ、テレビ局にはそれほど朝鮮人は影響力を持っているということです。
 放送法で20%以上の株を外国人に購入させてはならないテレビ局が19.9%の株を朝鮮人に売っているフジテレビが話題となっている。
 しかもここの秋元アナは3月11日の地震の緊急報道番組で台湾のTV局に「あー笑えてきた」と発言したのはフジテレビ秋元優里と報道された。








 


これを理解していれば、今の日本の現状が戦後どんな形で形成されていったのか理解できると思います。
 韓国俳優や韓国ミュージシャンに憧れを抱いている方に特に読んで頂きたいと思います。

 朝鮮進駐軍 ※Weblio辞書にて

 概要

一般に朝鮮進駐軍と言ったときは、おおむね1945年昭和20年以後に現在特別永住権を持つ在日一世(朝鮮人・韓国人)、もしくは現在日本に帰化または半島に帰国した朝鮮民族によって作られた犯罪組織を指す。 戦後、日本がポツダム宣言を受け入れると日本各地で、婦女暴行、窃盗、暴行、殺人、略奪、警察署の襲撃、公的機関への襲撃、土地建物の不法占拠、鉄道や飲食店での不法行為等様ざまな朝鮮人による犯罪が多発した。 自称「戦勝国民」(正しくは戦勝国民ではない)であると主張し、自らを「朝鮮進駐軍」と名乗り各地で徒党組んで暴れ事件を起こした。GHQの資料にあるだけでも最低4000人の日本人市民が朝鮮進駐軍の犠牲となり殺害されたとされている。


朝鮮進駐軍による朝鮮人犯罪及びテロ行為について

服装・武器及び組織について

戦後の混乱を利用し、日本刀等の刃物・鈍器以外に多くの銃火器を使用した。銃は三八式歩兵銃や機関銃など盗んだ旧日本軍の武器で武装し組織化を行った。朝鮮進駐軍では旧日本陸軍のパイロットの軍服を好んで着用したが、これは日本兵に対するあてつけとも、日本人(皇民)に対するあてつけとも言わた。 組織ではいくつかの本部設けたが、実際は各地域ごとに部隊名をつけその部隊が、個別に日本人を狙った犯罪行為を繰り返しすことが多かった。 朝鮮進駐軍総本部(在日朝鮮人連盟総本部)はのちの在日本朝鮮人連盟。更にこれが在日本大韓民国民団(略称「民団」)と在日本朝鮮人総聯合会に分かれ、これが現在の民団と朝鮮総連となる。


時代背景

当時の日本では戦場に男手が駆り出され極度の男手不足に陥っており、また都市部においても疎開や空爆による被害で人手が足りない状況が長く続いていた。 また警察組織においても、武器の使用が認められないなど戦後特有の制限があり。戦後朝鮮人犯罪が増加の一途をとどった背景には、このような犯罪に対する抑止力の空白化が背景にあったとされている。いまでは考えられないことではあるが、当時はヤクザ(現在の指定暴力団)が朝鮮人から、日本人の生活を守る役割を一部果たしていた。 この当時は朝鮮人の殆どが実名で暮らしており、通名を使用しだすのは朝鮮の姓に対して嫌悪感や犯罪者といったイメージを日本人が抱くようになってからである。ただしこれは、朝鮮人側からはもともと差別があったからとされている。


朝鮮人による犯罪

朝鮮進駐軍による犯罪は全国に及んだ。特に川崎・大阪・神戸・都心等当時朝鮮人が比較的多かった地域で多発した。特に東京では、原宿等を中心に三八式歩兵銃や拳銃・日本刀等で武装した朝鮮人によって占拠されており、のちに警察やGHQにより鎮圧された。

市民を狙ったものとして白昼に堂々と集団で婦女子に暴行を加えるなど、多数の犯罪行為を行った。拳銃や刃物で武装しており一般市民は無力であり繰り返し行われることも多かったため被害が拡大した。またGHQの調べでは少なくとも4000人の日本人市民が殺害されており、多い説では1万人以上であったとも言われている。

略奪・窃盗・密売・土地の強奪等においても組織的に関与していた。一般の露天商からの強奪や農作物・家畜の強奪(利根川水系の牛の強奪などが有名)等、さまざまな方法で集められた商品が朝鮮人によって売買され、その後の朝鮮人社会の資金源として利用されてきた。その他に、戦後土地建物の所有に関する書類の損失や強引な立ち退きにより土地・建物の収奪も相次いだ。

1945年12月翌1月におきた生田警察署襲撃事件では武装した朝鮮人50人が襲撃し警察署を占拠。翌46年には長崎県警察本部で、在日朝鮮人連盟と名乗る総勢約200名が同署を襲撃して破壊活動を行い、10名に重軽傷を負わせうち1名は死亡にいたらしめた。46年には国会議事堂前でも集まった2000人の朝鮮人と応援出動した武装警官358名・進駐軍憲兵20名とが銃撃戦に発展。首謀者は軍事裁判に付され、翌年3月8日に国外追放処分になった。1948年4月には阪神教育事件では数千人の朝鮮人によって庁舎が占拠された。これに対して3000名の警官隊を動員して、朝鮮人を庁舎から強制排除し1800名の朝鮮人が検挙された。戦後はこのような事件が日本各地で続発した。

第八軍司令官ロバート・アイケルバーガー中将は、正規の大部隊を治安確保のため朝鮮人に対して街中に簡易陣地を引くなどして配備した。GHQダグラス・マッカーサー最高司令官は「朝鮮人等は戦勝国民に非ず、第三国人なり」と発表するなど朝鮮人に対する取り締まりにおわれた。 昭和26年に浅草で朝鮮進駐軍と思われる朝鮮人が起こした集団暴力事件では、米兵一名が死亡、二名が負傷した。


主な事件一覧

朝鮮進駐軍及びその後の在日本朝鮮人連盟が関わる事件の一覧である。

大阿仁村事件(1945年10月22日)

生田警察署襲撃事件(1945年12月24日、1946年1月9日)

直江津駅リンチ殺人事件(1945年12月29日)

富坂警察署襲撃事件(1946年1月3日)

長崎警察署襲撃事件(1946年5月13日)

富山駅前派出所襲撃事件(1946年8月5日)

坂町事件(1946年9月22日)

新潟日報社襲撃事件(1946年9月26日〜29日)

首相官邸デモ事件(1946年12月20日)

尾花沢派出所襲撃事件(1947年10月20日)

阪神教育事件(1948年4月23日〜25日)

評定河原事件(1948年10月11日〜12日)

宇部事件(1948年12月9日)

益田事件(1949年1月25日)

枝川事件(1949年4月6〜13日)

高田ドブロク事件(1949年4月7日〜11日)

本郷村事件(1949年6月2日〜11日)

下関事件(1949年8月20日)

台東会館事件(1950年3月20日)

連島町事件(1950年8月15日)

第二神戸事件(1950年11月20〜27日)

四日市事件(1951年1月23日)

王子事件(1951年3月7日)

神奈川事件(1951年6月13日)

下里村役場事件(1951年10月22日)

福岡事件(1951年11月21日)

東成警察署催涙ガス投擲事件(1951年12月1日)

半田一宮事件(1951年12月3日〜11日)

軍需品製造工場襲撃事件(1951年12月16日)

日野事件(1951年12月18日)

木造地区警察署襲撃事件(1952年2月21日〜23日)

姫路事件(1952年2月28日)

八坂神社事件(1952年3月1日)

宇治事件(1952年3月13日)

多奈川町事件(1952年3月26日〜30日)

田川事件(1952年4月19日)

岡山事件(1952年4月24日〜5月30日)

血のメーデー事件(1952年5月1日)

上郡事件(1952年5月8日)

大村収容所脱走企図事件(1952年5月12日〜25日、11月9日〜12日)

広島地裁事件(1952年5月13日)

高田派出所襲撃事件(1952年5月26日)

奈良警察官宅襲撃事件(1952年5月31日)

万来町事件(1952年5月31日〜6月5日)

島津三条工場事件(1952年6月10日)

醒ヶ井村事件(1952年6月13日)

葺合*長田事件(1952年6月24日)

吹田*枚方事件(1952年6月24日〜25日)

新宿駅事件(1952年6月25日)

大須事件(1952年7月7日)

舞鶴事件(1952年7月8日)

五所川原税務署襲撃事件(1952年11月19日〜26日)

参考文献

法務研修所編『大須騒擾事件について』1954年

横幕胤行、富久公、船越信勝『吹田・枚方事件について』1954年

篠崎平治『在日朝鮮人運動』1955年

大阪市行政局編『大阪市警察誌』1956年

新潟県警察史編さん委員会編『新潟県警察史』1959年

名古屋市総務局調査課編『名古屋市警察史』1960年

瓜生俊教編『富山県警察史 下巻』1960年

山形県警察史編さん委員会編『山形県警察史 下巻』1971年

宮城県警察史編さん委員会編『宮城県警察史 第2巻』1972年

大阪府警察史編集委員会編『大阪府警察史 第3巻』1973年

警視庁富坂警察署編『富坂警察署100年史―新庁舎落成記念―』1975年

兵庫県警察史編さん委員会編『兵庫県警察史 昭和編』1975年

愛知県警察史編集委員会編『愛知県警察史 第3巻』1975年

青森県警察史編纂委員会編『青森県警察史 下巻』1977年

坪井豊吉『在日同胞の動き』1977年

警視庁史編さん委員会編『警視庁史〔第4〕』1978年

思想の科学研究会編『共同研究 日本占領研究事典』1978年

仙台市警察史編纂委員会編『仙台市警察史―仙台市における自治体警察の記録―』1978年

長崎県警察史編集委員会編『長崎県警察史 下巻』1979年

李瑜煥『日本の中の三十八度線―民団・朝総連の歴史と現実―』1980年

福岡県警察史編さん委員会編『福岡県警察史 昭和前編』1980年

山口県警察史編さん委員会編『山口県警察史 下巻』1980年

警察文化協会編『戦後事件史』1982年

日本国有鉄道公安本部編『鉄道公安の軌跡』1987年

講談社編『昭和・二万日の全記録 第9巻』1989年

朴慶植『解放後 在日朝鮮人運動史』1989年

百瀬孝『事典・昭和戦前期の日本 制度と実態』1990年

金慶海、堀内稔編『在日朝鮮人・生活擁護の闘い』1991年

荒敬『日本占領研究序説』1994年

百瀬孝『事典・昭和戦後期の日本 占領と改革』1995年

竹前栄治、中村隆英監修『GHQ日本占領史 第16巻 外国人の取り扱い』1996年

『秋田魁新報』1945年

『神奈川新聞』1951年

『西日本新聞』1951年

『中部日本新聞』1951年、1952年

『大阪新聞』1952年

『京都新聞』1952年

『神戸新聞』1952年

『山陽新聞』1952年

『中国新聞』1952年


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知っておいてね韓国旅行

 韓国旅行に行きたいね、還流ファンとして・・、でも朝鮮の歴史を知っていればもっと楽しいし、文字を読むのは歳で辛いから、映像を活用して少し勉強をしてから行きましょう。

 韓国のドラマって日本のドラマよりずっとずっと面白いです。
 その中でも朱蒙はとっても面白かった。
 でも古朝鮮の地図を広げるシーンがあったんですけど、領土が大きすぎるような気がしたのでちょっと調べてみたのですが・・、この朱蒙は中国共産党の東北工程(高句麗は中国の一地方だとする中国共産党)に反対するために作られたドラマなんですって。

 チャングムも見たのですが、当時のチマチョゴリがあんなに綺麗だったのは変だと思っていたらやっぱりね。

 


















 朱蒙が建国した高句麗および百済と、現在の韓国人の直接の祖先である新羅は、そもそも話す言葉がまったく違っていて、完全に異なる言語だったという。同じ扶余系である高句麗と百済は、ほとんどが同じで、朱蒙が実際に使っていたことばを今の韓国人は、理解できる訳はなく、言語が違うということは民族それ自体が違っているという。

 韓国の中学校国定歴史教科書「入門 韓国の歴史」によると「扶餘の法律は非常にきびしく、人を殺したものは死刑にされ、他人のものを盗んだものは、12倍にして返さねばならなかった」と書いてある。「高句麗の法律も非常にきびしく、重い罪を犯せば、死刑にされ、その家族を奴婢にした。」と書かれてある。新羅に関して、そのような記述はない。

 魏志倭人伝の邪馬台国の記述に、「その法を犯すと、軽いものはその妻子を没収し、重いものはその一家および宗族を滅ぼす」というのがあり、韓国人は英雄を作り出したくて朱蒙をありがたがっているが、朱蒙が建国した高句麗、ヨン様演じる広開土王が君臨した高句麗を滅ぼしたのは、唐と連合を組んだ彼らの祖先、新羅人である。

 新政権発足にあわせ、三足烏(八咫烏)を意匠にした国璽(韓国の国印)を新しく使用するとかいっていたけど、朝鮮半島における三足烏は高句麗王家の象徴です。

 日本では、八咫烏といえば神武天皇が親征をしたとき、紀州から大和に入る道案内をしたカラスですね。 

 高句麗のことばは、現在でも解明されておらず、地名を中心に80語程度、語彙が確認されているにすぎなく、その中に数詞が4つ含まれているが、4つとも日本語と音韻の共通性が確認されているという。
 滅亡した高句麗語が、もっとも似ているとされる言語は韓国語(新羅語)ではなく、日本語らしい。一部研究者の間では百済や高句麗が残した記録や書物を新羅民族(韓国民族)が、焼き払ったのではないかといわれていますね。

 韓国の新聞社中央日報もこの件について記事を載せている。

http://japanese.joins.com/article/889/39889.html?sectcode=400&servcode=400


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